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SONGS

2013.11.26
M05「太陽の野郎」M012「かいあって」試聴&ライナー・ノーツ up!

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「すべての楽器をひとりで演奏して作った」という事実以上の、何かとてつもなく熱いものがこのアルバムには詰まっていることをいきなり知らしめる、そんなオープニング・チューン。
いきなりかっこよすぎるイントロのギター・リフ。重ったいリズム(OT、ドラムが異様にうまくなっていることと、彼のドラムプレイの長所は明らかにその「重さ」にあることが、このアルバムを通して聴くとよくわかります)。
「日々にドキドキ したいなら目 そらしちゃだめ 不意に降って湧いたフリー 絶好の瞬間を 逃してはだめ」という、これがOTかと耳を疑いたくなるほどストレートなメッセージ性全開の歌詞。そしてギター・ソロ前の「うおーーっ!!!!」というシャウト。ライヴではわりとシャウトする人だが、音源でそれをやることは、過去、そんなに多くなかったのではないだろうか。ちなみに、ほかの曲でも叫んでいます。
で、その「フリーな瞬間」を迎えた人を「おめでとう」という言葉で迎え撃つのも新鮮。古今東西、自由を表現した歌も、ポジティヴィティを表現した曲も数限りなくあるが、こんな切り口でこんなふうに音楽にした人、私、ほかに知りません。新しいと思う、真剣に。とにかく聴いていると、なんだかやたらと何かがみなぎってくる曲。

[ライナーノーツ:兵庫慎司]

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「みたい」「いたい」「したい」と「そこら中」「想像中」「暴走中」の2種類の語尾の揃え方をすることがまず念頭にあり、それをメロディにあてはめていった──という、OTの曲作りにおける王道パターンな1曲だが、アレンジも、メロディも「淡々とした」と言っていいくらい、際立ってシンプルなものであることがこの曲の特徴。
Aメロ、ギターもベースもコードそのままルート弾きしてるし。Bメロで一瞬ベースラインが動いたと思ったら、すぐ終わって元に戻るし。と、書きながら、過去でもっともそういう曲だったのは何か、と考えた結果、“マシマロ”であるという結論に至りました。
ただ、あれは「メロディ1種類しかない、しかも本人曰く『こんなのメロディじゃない』というくらいシンプル」な曲であり、この“ちょっとにがい”はそこまでではない。ただし、淡々としすぎて盛り上がらないはずなのにじいっと聴いていると曲の中盤あたりから気持ちが盛り上がっていく感じに、共通するものがあると思います。
なお、一見前後の脈絡と関係なく突然さしはさまれる中盤の「回転数は最大 ぐるぐる 時をきざむ時計台 まな板の上のコイ」というブロック、すごく効いている。なんで効いているかというと、前述のように他の部分が極めてシンプルだからなのだが、「ああ、OTだなあ」とうれしくなります。
それからこのアルバム、基本的に各楽器の音の分離がとてもいいんだけど、特にそれがよくわかる曲でもあります。

[ライナーノーツ:兵庫慎司]

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淡々と始まり、サビでちょっとアガるけどアガりすぎない、というか曲の全体的にアガりすぎずサガりすぎない、ミドル・チューン。という意味では、OTのレパートリーとしてはめずらしくないが、このタイプでライヴ映えするいい曲を作るというのは、実はかなり難しいことなのが、他のアーティストなんかと比較するとわかります。
歌詞は、OTが時々書く、「◯◯へ行く」「××を歩く」といったような行動やその時の風景描写などを中心にしつつ、そこに心情や感情を織り交ぜる、具体的で物語性の高いタイプのもの("イージュー★ライダー"とかもそうですね)。
なお、"海"というモチーフは、たとえば『comp』収録の"海の中へ"や『FANTASTIC OT9』収録の"今から海へ"のように、2000年代中盤以降のOTの曲で時々出てくるが、この曲の場合、「代わりに ストアーさ」という、普段OTが使いそうにないフレーズが出てくるところがおもしろい。
意味的には本来は「コンビニ」や「スーパー」なんだけど、あの部分のメロディーに言葉の響きが合わなかったので「ストアー」にしたのでは、と推測します。
たとえば「代わりにコンビニ」だと、響きがゴツッとしてて、言葉が耳にひっかかりすぎるし。

[ライナーノーツ:兵庫慎司]

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まさに井上陽水な曲。いや、曲自体は別に似ていません。歌詞の書き方の話です。
ソロで本格始動した当時に「陽水さんの歌詞って、深い深い内容でも、最初のとっかかりはそのへんのエビ天のシッポだったりする。それがすごい」というような話をOTはよくしていたが、つまりそういうことです。タイトルどおり、いい歳して一輪車の練習を始めた人が、自分にいろいろ言い聞かせている歌なんだけど、その言葉の連なりが意味するものが、一輪車の練習についてだけじゃなく、人生全体に通ずるようなことになっていく、という。
と言うと、かつて井上陽水と共作した名曲“手引きのようなもの”を思い出すが、あの曲は後半で「ああ なんだ 釣りをする時の手引きのつもりが ああ まるで 君といる時の私ではないか」と自分で気づくが、この“一輪の車”は最後まで気づかないままです、主人公は。
あと、「練習 練習 しましょう 毎週 練習 しましょう しましょう」って、「毎日」じゃなくて「毎週」なの?と一瞬思いますが、「じゃないと“しゅう”で韻を踏めない」と「大人だから毎日は無理、週末に練習する」のふたつの理由でそうなっているのだと思います。
なお、この曲でも、OT曰く「このアルバムでもっとも不得意な楽器」であるキーボードが大活躍。ピアノを習い始めて1週間の子供レベルのテクニックを駆使しておられますが、でも、すばらしい。こういうのを聴くと、アレンジとは楽器技術じゃなくて、どんな音をどこにどれくらい置くかということなんだな、と改めて思います。
あと、曲が始まる直前に、小さく「うぁっ!」という叫び声とも唸り声ともつかぬ声が入っているのもポイント。

[ライナーノーツ:兵庫慎司]

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リズムマシンみたいに軽い音のリズム。モールス信号のようにずーっと同じ音が続くギター……って違う、モールス信号はまだ変化ある。これはほんとずっと一緒です。最初から最後まで単音が浮遊しっぱなしな、シンセっぽい音のキーボード(だと思うが確証なし)。
というように、音から全面的に「厚さ」と「低音」を排除し、「響き」と「上モノ」を重視し、でも「シンプルに」ということを忘れずに、作られた曲。そうするとどうなるか。すばらしいことになるのです。ということが、聴けばわかります。
そして、歌詞について言うなら……とても眠いから、まぶしくてイヤだから、日差しが入ってくるカーテンのすきまをふさぎたいんだけど、手を伸ばしても届かない、起きて歩いていかないと届かない、めんどくさいからいいや、これで。という、そんな怠惰の極みみたいな光景から着想を得て歌を書く人がこの世にいる、ということ自体がもう驚きな、“一輪の車”に次ぐ「究極の井上陽水手法」で書かれた1曲である。
でありながら、詞に何度も出てくる「太陽」が、聴いていると何かの暗喩に思えてくるのも「井上陽水手法」と言えるが、“一輪の車”などに比べてそれが抽象的な分、聴き手によって自由に、好きなように解釈できる、という深さもあり。これもまた、過去のOTにおいてはあまり聴くことができなかった、『O.T. Come Home』だからこそ生まれた曲だと言えると思う。終始そーっと歌っている感じのヴォーカルもいい。

[ライナーノーツ:兵庫慎司]

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弾き語りで始まり、だんだん他の楽器の音もまといながら、3拍子のリズムでゆったりと進んでいくフォーキーな曲。メロディもアレンジもすばらしいが、特に歌詞、「すばらしい」というより「すごい」。
海と空をモチーフにしながら、音楽というものについて歌った曲、あるいは音楽をやるということについて歌った曲、もしくは音楽と生きることを歌った曲なのだが、もう「詞」ではなく「詩」の領域に踏み込んでいる。そんな作品でありながら、抽象的でよくわからなかったり難解だったりする箇所がひとつもない。まるで短歌や俳句のような「単語レベルでのわかりやすさ」を持った言葉たちが連なって「詩」になっている。
誰にでもわかる表現を、他の誰も思いつかないやりかたで形にできる人を天才というならば、やっぱりOTはとんでもねえ天才であることを立証する曲だと思う。その上、全体に、これまでのOTにはなかった書き方じゃないかな、という新しさもある。さらに、サビで"Music will never die"のあとに"Music is dead"と続けるなど、無邪気な音楽讃歌にはなっていなくて地に足がついているところもいい。完璧。
なお、ラストの1行「ちょっとまって つかれた ちょっとまって すぐ行くから」だけ、全体の内容を考えると唐突な気がするが、「音楽をやり続けると、音楽と共に生き続けるとそういう気分になることもあるんだよ」というニュアンスを足すことで曲にさらにリアリティを持たせているのだ、というふうにも納得できるし、単にこの曲を書いたのが『O.T. Come Home』の制作のケツの方の時期で、スタッフに「まだですか?」とかせっつかれていてついこう書いちゃった、という解釈もできます。実際どうなのかは、知りません。

[ライナーノーツ:兵庫慎司]

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50'sというかオールディーズというかエディ・コクランとかチャック・ベリー的というか、いわば「ロックンロールの源流スタイル」な、これまでにもOTが時々書いてきたタイプの曲。
ただし、OTがこういう曲を作る場合、かつては、歌詞は語呂合わせや言葉遊びに終始することが多かった気がするが、というかこの曲もタイトルからしてもじりもしくはダジャレだが、内容は「飲み会かなんかで周囲に狙われてる女の子に注意を促す歌」という体裁になっているところがミソ。という点で、後期ユニコーン的なものを感じるソング・ライティングである、と言えなくもない。あ、「後期ユニコーン」というのは、一度解散する前の『ケダモノの嵐』『ヒゲとボイン』『スプリングマン』あたりの時期のことです。
で、その頃の、たとえば"与える男"とかに通ずるものがある、という話です。でも"与える男"では女の子を餌食にしようする立場から歌っていたのが、この曲では、心配し、注意する側から歌っているところに、年月を感じます。
なお、このアルバムのリリース1ヵ月半前からスタートし、リリース翌日に終わるツアー『奥田民生2013ツアー"SPICE BOYS"』においても、プレイされている。シングルの"風は西から""拳を天につき上げろ"以外にも何かやろうと思い、メンバーにおうかがいを立てたところ、小原礼さんが「この曲がいい」とおっしゃったそうです。

[ライナーノーツ:兵庫慎司]

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あとどれくらいなのかも、この先に何があるのかもまったくわからなくて、いつもいばらの道で、危険や不幸と隣り合わせで、何度ももとに戻ったりするし、失敗したら取り返しがつかない。でも、一緒に歩んでいこう。ということを、「山で迷子になっている」という世界観の中で綴った、おそらく夫婦もしくは恋人同士にとっての「人生」というものについての歌。逆かもしれない。
まず「山で迷子になっている」という設定を決め、メロディとリズムに合わせて言葉をのっけていった結果、そういう内容になったのかもしれない。いずれにせよ、"イージュー☆ライダー"がそうなったように(あっちは「友人同士」とか「仲間」でもありですが)、あるいは"さすらい"がそうなったように(これは「ひとり」でもありです)、この先多くの人々の人生のテーマソングになっていく、そんなポテンシャルを持った曲。すばらしい。
なお、演奏面においては、OTがもっとも不得手な楽器であり、このアルバムにおいていちばん演奏に苦労したというキーボード(音からするとたぶんハモンドオルガン)が全編に入っているところが聴きどころ。あと、カウベルの鳴り響き方と、サビが1回しか出てこない曲構成は、ユニコーンの"WAO!"に近いものがあります。あれは阿部Bの曲ですが。
でも、「サビが1回しか出てこない」という曲、阿部BもOTもたまに書くが、他のアーティストと比べたりすると、これ、かなりめずらしいことだと思う。というか、もったいないと思う。"WAO!"でいうと「輝く波は 宝石のよう」で始まるブロック、この曲でいうと最後の「ああ、わからないぜ」で始まるブロックです。ここサビじゃない、これは大サビで、サビは「だから この手を ゆるめてないさ」「いばらの道も 怖くはないさ」のところだ、と、OTはおっしゃるかもしれませんが。

[ライナーノーツ:兵庫慎司]

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まず先にシングルで出た“風は西から”があったので、アルバムではそれの前に“風はどこから”という曲があればおもしろい、と思って書いた曲、もしくは「風」がらみの曲がもう1曲できたので、“風は西から”の前に置くために、タイトルを“風はどこから”にした曲。以上、アルバムの曲目を見ればわかることですが、一応書きました。
で横ノリ、アメリカかブリティッシュかでいうと前者寄りの曲調やアレンジメントは、OTとしてはオーソドックスな部類だが、あと歌詞全体の「短さ」「少なさ」もいかにもOTだが、OTとしてはちょっと異質で新鮮な曲だと思う。
何が。その内容が。つまり、「わーって」なりそうだから、行くあてもなく外に出て、自分を落ち着かせて、風が何かを連れて(もしくは運んで)きてくれるのを待っている曲である、という事実が。まず歌い出しの「わーってなりそな夜だ」というところで、「えっ?」ってなる。「わーって」「さーて」「だって」と韻を踏む中でそう書いたのだろうが、OT、自分でも制御できない自分の中の感情みたいなものを、このようにストレートな言葉にして作品として発表すること、めずらしいのではないかと思う。もうちょっと冷静に書くことが多い気がします。というか、「わーってなる」ようなことがない、もしくは少ない、どこか超然としたキャラクターである印象を勝手に持っていました、私。という意味での、異質さ・新鮮さです。これが自分のことを書いているのかどうかは不明だし、自分のことじゃなくてもいいんだけど。

[ライナーノーツ:兵庫慎司]

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ご存知、今年6月からオンエアされている、OTの地元=広島の自動車メーカー、マツダの企業CM曲。なので「西から」というのは広島から、ということだと推測されます。聴けば明らかなとおり、昔だと"イージュー★ライダー"や"さすらい"、近年だと"明日はどうだ"などに通ずるような、OT内で「本気のギア」みたいなものが入った時に生まれるタイプの名曲。
なお、それこそ『CAR SONGS OF THE YEAR』という編集盤を出せるほど、クルマやバイクをモチーフにした曲がOTには多いが、ただしこの曲の場合、「突っ走れ」という一節はあるものの、クルマであることを具体的に伝えるフレーズはない、でもとってもドライブ感に溢れた曲である、というところがポイントかもしれません。
それから、歌詞の最後の「心はいま赤いぜ」というのは、OTが大ファンである広島カープと掛けているのでは、とも思います。マツダ、カープの親会社なので。
なお、広島出身でない方にはいまいちピンとこないかもしれませんが、広島ではクラスの1/3くらいの子が「親のどっちかがマツダ」「もしくはその下請け」だったりする町もあるほどであり、にもかかわらず「大きくなったら東京に本社を移しちゃう」ということもしない、そんな、広島のシンボルのような会社がマツダです。広島市民球場、厳島神社、広島平和記念公園でライヴをやり、このたびマツダのCM曲を手がけた、ということは、OT、「これで広島は全部押さえた」ことになる、とすら言えます。

[ライナーノーツ:兵庫慎司]

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ルーツとする洋楽の影響がモロに出た、でも模倣やパクリじゃない、聴いているとニヤニヤしたくなる曲全体の空気感。
必然的に曲がメロディックになるような、(最近のOTにしては)やや複雑なコード進行になっており、さらにそのコードがところどころで突然思いもよらない方向へ進んだりして、それがメロディに与える影響によって強力なフックが生まれる、そんな曲構成。
脱力してるようで実はしていない、でもしていないことを極力悟らせないようなナチュラルなヴォーカル。大胆なくらいどシンプルだけど、いちいちツボを心得ているアレンジメント。そして、「必要最小限」「なるべく短く簡単に」を目指した結果、ただ簡潔なだけじゃなくて何かとても深いものを秘めてしまった歌詞。というあらゆる意味で、「今の」というよりも「以前の」、具体的に言うならユニコーン後期(一度解散する前の時期ということです)からソロデビュー頃の時代にかけてのOTの王道みたいな名曲が、これ。
歌詞が全体的に、言葉は簡単なんだけどシリアスで深いことを言っている。というのはこのアルバムに限ったことではなく、『FANTASTIC OT9』の頃から見られる傾向だと思うが、この『O.T. Come Home』の場合、それに加えて「詩的」「言葉がきれい」という特徴もある気がする。それがよく表れた曲だとも言えると思います。
特に最後の「星くずにまぶして かきまぜて ふたをして こおらせて」あたりにそれが顕著。

[ライナーノーツ:兵庫慎司]

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他のいくつかの曲たちと同じく、まず「かいあって」という言葉が最初にあって、いかにそれを何度も使うか、いかに韻を踏むか、みたいな発想で書いていったと思われる曲。過去で言うなら“CUSTOM”や“ひとりカンタビレのテーマ”に近い、だからこのアルバムでいうと“息するように”と共通するような、自分が音楽をやることについての歌。
より正確に言うと、“ひとりカンタビレのテーマ”は「音楽をやること」というよりも「ひとりで家で音楽を作ること」についての歌だし、“息するように”はやや抽象的なので、もっとも近いのは“CUSTOM”、ということになります。
という感動的な曲でありながら、そして歌とエレキギター1本と木琴もしくは鉄琴(たぶん木琴ではないかと思うが、すみません、確証ありません)だけをまとって淡々と歌われる、バラード系というかせつな系の曲でありながら、とか「アー ラララ アー 何でもいい」とか「ギリギリ間に合って ああもう いやもう 腰くだけ」という、なんというか、だっるい己を表すフレーズが随所に入ってくるところがOTらしい。
が、「昨日のとても忘れそうにない思い出 今夜の想像もつかない予定 短くまとめて音符に並べて ああ うたって」という、いわばOTの核を表す一節をサビですぱーんとぶちこんでくるあたりも、とてもOTらしい。というか、その両方が綴られていること、それがOTなのだとも言える。

[ライナーノーツ:兵庫慎司]

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2012年1月リリースのシングルで、同時期からオンエアが始まったサッポロの企業CMのために書き下ろした曲。かなりの回数、長い期間にわたり流れているCMなので、このアルバムに入っている中で、おそらくファン以外の認知度が最も高いのはこの曲だと思います。
やや抽象的な"風は西から"と逆で、サビで「カンパイ 拳をつき上げて カンパイ カンパイ 言いたい事はそれだけ」と歌われる、実に直球な曲。
なお、「カンパイ」以外の箇所も、「失敗」「困憊」「いっぱい」「心配」と「パイ」で韻を踏みまくっていたりするので、そもそも「カンパイ」ありきで制作に着手したと思われます。にしても、そんな語呂合わせに端を発して「いっぱいの期待をあつめ 心配の元をたつのさ」なんて名フレーズがぽろっと出てしまうのが、つくづくOTだなあ、と思う。
それから、ゆったりしたでっかいタイム感で(BPM109、ヒップホップのトラックなんかでよくある速さです)、楽器の一音一音、歌のひとことひとことがくっきりと耳に刺さってくるアレンジになっているのも、アップテンポな"風は西から"と対照的だといえます。

[ライナーノーツ:兵庫慎司]